これまでとこれからについて
増富地域と私たち
当農場の理念のようなものを書こうとしたら、そもそも自分たちが暮らし、農業をしているこの地域の事、歴史や文化すらよくわからず、それをひとつずつ調べていくうちに、とんでもなく長い文章になってしまいました。この地域と自分たちの農業が、これからどう歩んでいくことがいいのか、考えてみました。
過疎地へ移住し、農業を始める
2012年に東京から山梨県北杜市の増富(ますとみ)地区の黒森(くろもり)集落に移り住んで、2026年で14年目を迎えました。そこで有機農業の研修を受け、2016年にそのまま黒森集落で新規就農をスタートさせました。当初、有機農業をやるつもりでしたが、いろいろなご縁と興味から自然栽培に取り組むことに決めました。黒森集落は、世帯数22戸、47人程度のとても小さな集落です。日本百名山のひとつ瑞牆山の麓かつ、最奥の集落で、農場も1,100~1,200mあたりに位置し、その先に人は暮らしておらず、いわゆる限界集落です。学校も役場もコンビニも何もありません。車を30分走らせないと、何もできない不便な場所です。
私は、そこで結婚し、子供ができ、家族ができ、日々の暮らしと農作業に追われる日々を送っています。長いようでまだまだ短い集落での暮らしですが、これから先、どうしていこうかと考えることが増えてきました。これまでは、自分たちの農場をどう発展させ、売上を伸ばすことばかりを考え、実践してきました。就農当初は、びっくりするほど貧乏で、当時暮らしていた家もボロボロでしたが、それなりに充実して、楽しくやっていました。きっと若かったからできたのでしょう。
新規就農をし、自然栽培を続けて10年。黒森集落での暮らしは14年。少しずつですが、農場の形も見え始め、ここでの暮らしを見つめる余裕も出てきました。地元の町史を読んだり、集落の人たちにここの歴史や文化などを聞いていくと、今とは違う景色が見えてきます。
黒森集落の歴史
黒森集落のエリアは、古くは縄文から始まり、平安~鎌倉~室町にかけて有力な豪族が存在し、戦国~江戸時代には、金山の採掘が全盛期を迎え、「金山千軒」と呼ばれるほど、多くの人が集まるような賑わいをみせていたそうです。集落内には、「口留番所」と呼ばれる関所跡も残っており、人や物流の要として、とても重要な位置づけがされていたことがわかります。明治期に入ると、近代化の流れの中で市町村合併が進み、「増富村」が誕生しました。
現在の増富地区(現、北杜市須玉町小尾。2004年の平成の大合併により「増富村」という名称はなくなりました)は、山深く不便な印象がありますが、山林や川が豊かにあるということは、前近代までの生活に必須な資源(炭、薪、木材、落葉、山草、動植物、鉱物)が豊富にあり、いわゆる「ヒト、モノ、カネ」が集まりやすい環境だったのではと推測ができます。
昭和初期までは、炭焼き、養蚕、農耕馬の育成などが主な産業でした。農業は自給のためのみで、昭和30年頃までは、米と麦の混合の麦飯が中心で、ほとんどの家庭は生活のすべてが文字通りの「自給自足」だったと、集落の方がおっしゃっていました。その後、高度経済成長の影響により、電気、石油、建材、肥料、農薬、交通の普及と発達により、前近代まで必要とされてきた資源の転換期が訪れます。
電気、水道、ガス、幹線道路のインフラが進み、人工林は輸入建材の影響で、薪や炭は電気と石油の影響で、山林に手が入る頻度はどんどん減っていきます。田畑は家族総出でなくても、一人でもできるくらいの革新的な機械化と施肥・農薬設計が進み、家族の働き方、産業のあり方も変化していきます。しかし、私たちが望むような農業が発展しても、なぜか農村自体は衰退していくという、矛盾した形になっていくのが、とても不思議です。かつて農村にあった手工業・加工業などをすべて都市に移し、農村がたんに原料のみを生産する場になってしまった、とある本に書かれていました。農業生産力は増大したが、農村は衰退した、と。どんなに一生懸命がんばっても、かつての「ヒト、モノ、カネ」の流れは、虚しくも、徐々に違う水流に取って代わっていくかのようです。
黒森集落のいまと農業
どこにでもある地方の農村の話かもしれません。しかし、ここ黒森集落もまさに絵に描いたような過疎化のステップを手順通りに歩んでいるようで、どうしたものだろうかと考えることが増えてきました。
黒森集落を歩くと、空き家も増えてきて(空き家を含めて、ここで人が生活をしていない家は14戸程度あります)、人の数も年々少なくなってきているのが、やはりとても寂しいです。夜の家の明かりが少なくなるほど、寂しさが募るものはありません。集落のこれまでの繁栄の背景と、いまの寂しい景色を眺めながら、自分たちは何をしていくべきなのか考えてしまいます。これまで農業をがむしゃらにやってきましたが、それだけでは、この集落・農村を前向きに変化させるのは、難しいのではと。
私たちがこれから深く根を下ろして暮らしていくであろう、この集落をしっかりと見つめ、そのために何をすべきか。答えはまだわかりませんが、きっと自分たちの農業と、この集落のこと、両方どちらのことも考えて、動いていく必要があるのかもしれません。
とはいえ、ここで農業をやるには、山間地のため一つ一つの農地が小さく、獣害もあるので、その対策にも力を入れる必要があります。平地と比べると、生産性、効率性は格段に低く、おまけに肥料や農薬を使わない自然栽培。唯一、標高が高く冷涼で、土がとても豊かであるのはメリットです。しかし、高冷地のため、冬は土が凍り、農業ができず、夏に作業が集中してしまうのが、物理的にも経営的にも体力的にも不利です。
ここの地域にはどんな資源があるか
場所も、車を30分走らせないとたどり着かないので、不便で不利です。そもそも人が集まりにくくなっているのに輪をかけ、外部の人に示せるほどの、地域資源も残念ですが見当たりません。そんなことを言うと集落の人たちにきっと怒られてしまいますが。どうかご勘弁を。自然が豊か、水と空気がきれい、山々の景色が美しい、人情がある、というような、どこにでもある抽象的な資源では正直、人は集まりにくい。
ただ唯一、瑞牆山を目的とした登山、ロッククライマー、紅葉でくる人の車の往来がとても多いです。しかし、この集落は単なる通過点に過ぎません。ここに留まる理由も資源もないからです。ただ、この集落にひとつだけ「食事処」があり、そこに私たちと同世代の移住されてきたご夫婦がおいしいジビエ料理を提供しています。それがうれしいことに、とても盛況です。そうした意味でも、かつて農村にあったさまざまな産業や仕事・お店があった方が、集落の発展に寄与し、外部からの人の流れの変化が生まれる可能性が高くなるのではないでしょうか。
話が逸れますが、同じ市内でも、小淵沢地区、清里地区などは、多くの移住者やさまざまな業種のお店がどんどん増え、「ヒト、モノ、カネ」の流れができあがっているように見えます。同じ市内なのに、ここと一体何が違うのでしょう。何をしたら、同じような流れがつくれるのでしょうか。とにかく、うらやましい限りです。
これからの私たちがすべき農業とは
私たちは、農業ですが、これまで通り単なる農業生産だけをしていても、ダメなのです。前述したように、自分たちだけ発展しても意味がないからです。では何をすべきか。夫婦でよく話すのですが、これがなかなか難しい。地域活性化のようなスマートなことや、他の地区で成功していることを真似しても、これまた難しい。では自分たちやこの集落に合ったやり方とか、一体何なのでしょうか。
さまざまな人たちが気軽に集える場をつくっていくこと。答えにつながるかまだわかりませんが、今まで実践してきたことです。これまで当農場では、「援農ボランティア」「農福連携」「WWOOF」「研修生」「長期・短期アルバイト」の受け入れをしてきて、これからも続けていくつもりです。さらに今後は、実現できるかはまだわかりませんが、「農業体験」「読書会」「勉強会」「食事会」のようなことにもチャレンジしてみようと計画しています。そうすることで、いろいろな角度から人が集まり、交流が広がっていくのでは、と。
もうひとつ今年から「集落雇用」を検討しています。同じ集落に暮らしているご近所の方々に、畑を手伝いっていただき、きちんと報酬を渡せるようにしていく予定です。なぜ取り組もうと思ったのかは、後述します。
外に頼る生き方と、新たな自給自足
自然栽培をこれまで10年やってきましたが、この農法にこだわりすぎない形ができないか検討しています。自然栽培とはいえ、トラクターなどの農機や軽トラを使い、ガソリンを使い、マルチを使い、その他にもプラスチック資材も多く使い、それらをずっとこれからも買い続け、廃棄し続ける形を、少しでも緩和できないか。使うことが悪いということではなく、どこまでが自分たちの許容範囲かわかった上で活用することが大事。今年はこれくらい使ったけど、もう少し減らせる余地はどれくらいあるだろうか。マルチを使わずにできる栽培法はないだろうか、と。
そうした考え方は、そのまま自分たちの暮らしにもつながります。飛躍してしまいますが、電気、水道、ガスといったインフラに頼るしかない生活の見直しも重要な気がします。というのも、ここはたまに停電をします。つい先日も停電し、その間、風呂にも入れず、家族でロウソクの灯りを頼りに過ごしました。過去には、水道が断水したこともあります。災害時、過疎地はとても脆く、復旧に時間がかかり、場合によっては後回しにされかねない不利なエリアです。そうした意味でも、改めて「自給自足」に立ち戻るよい機会なのではないでしょうか。
私たちは「自給自足」がしたくて、農業を始めましたが、野菜やお米だけではなく、これからはエネルギーや地域資源を、少しでもいいので活用し、まかなえるような形ができないか模索していきます。もちろん、前近代のような全てを「自給自足」するのではなく、自分たちらしい無理のない形からまずは始めてみる。将来的には集落の人たちとの協同、共有できる程度まで発展できることを目指していきたいです。そういう意味では、多くの人にとって、食べ物をつくる「農」は入りやすいのではないでしょうか。
自然栽培でなくてもいい
少しでも地域資源を活用することが大事
話を、私たちがやっている自然栽培に戻します。これまで10年やってきましたが、自然栽培をすることは目的ではありません。自然栽培というカテゴリーにこだわらず、たとえばガソリン使用の農機を使わない、不耕起栽培もいいかもしれません。地域にある落葉や廃棄物を活用した有機栽培でもいいかもしれません。なるべく外に頼らず、私たちが暮らす狭い範囲内でまかなえる、少しでも循環できる仕組みをつくっていくこと。それが目的です。「集落雇用」も目線は同じです。人という地域資源も、とても大切です。そうして地域が少しでも長く永続的にまわっていけるよう、いろいろな循環の形がたくさんあっていいし、どんどん増やしていきたい。
過疎地で、限界集落で、不便で、世界も不安定なことばかりですが、それを嘆いていても始まらない。きっと同じような地域や集落は、全国にたくさんあり、これからも増え続けるでしょう。でも残る地域も必ずあります。すべてを前向きにとらえ、不利をどんどん有利に活用していくしか、打つ手はないかもしれません。でも、もがきながら続けていくしか、この先の10年は見えてこないはずです。
最後に、ここの好きなところは何かと、夫婦で話し合ったことがあります。人、山、自然、景色、なにもないところ、集落の雰囲気、行事、歴史、おすそわけの文化、皆が自給的な暮らしに近いことなどなど。前述の地域資源にならないような、すべて抽象的な言葉の羅列ですが、ずっと言い続けられるような地域にできるよう、動き続けていくことが、この農場の理念でもあります!とんでもなく長くなってしまい、すみません!!そして最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
2026年3月 watanabe farm 渡部 貴志
